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確かに、18世紀末から19世紀始めには、シチリアの「マルサナ」があり、後述する統一イタリア共和国設立に力を振るった政治家たちのイタリアワイン産業への貢献を見過ごすことはできない。しかし、大勢は「質より量」のワイン造りに突き進んで行く。フランス革命以後、自由を与えられた農民は、金になりさえなれば、どこの耕作地であろうと無秩序に新しい葡萄畑を作ってしまった。フランスでも「質から量」の時代を迎えるのだが、イタリアのように、後々まで続くことはなかった。
イタリアは、恵まれた気候と地形のお陰で、葡萄の木が育たない地方は一つとしてない。面倒な作業などしなくても、そこそこいい葡萄の収穫が出来てしまう。そう言ったことに加え、19世紀半ばから末に掛けてのフィロキセラ禍(フランスの葡萄栽培を殆ど壊滅させた害虫被害)時期のような、フランスワインを補うためのイタリアワインの需要の増大が度々重なり、この「質より量」に拍車を掛けたからである。
イタリアでは、この時期、殆どが個性の無い量産ワインを造っていたとは言え、地方により独特の葡萄が何百とあった。そしてその葡萄の利用法も地方の数だけあった事は確かである。しかし、栽培農家はもとより、貴族や聖職者の邸宅や城館においても、葡萄栽培に注意を払い、知識を駆使してワインを醸造することはめったになかった。
また、商品として品質を整え、販路開拓をするような熱意を持ち合わせている人はごく少数に過ぎなかった。
フランスのような高品質ワインを造ろうとする研究・努力が、本格的に、多くの人の間で始まるのは20世紀も半ばからである。
三人の統一イタリア創建者と葡萄栽培
統一イタリア創建に大きな働きをした指導者に、ガルバルディとカヴールとリカソリがいる。
ガルバルディとカヴールについては英雄としてよく知られ、「新生イタリア」のページにも記したが、リカソリもまた、トスカーナ公国を率いて、カヴールのサルディニア王国との同盟を結び、統一への大きな流れを作った人物である。統一後、初代首相に就任したカヴールが、就任早々の3ヶ月で没するため、その後を継いで二代首相を担う英傑である。
この三人は共に、農業に深い関心と造詣があり、葡萄栽培にも貢献している。