リカソリは、正真正銘の帯剣貴族である。11世紀のロンバルディアの男爵家に遡る武門の旧家。
気高く、禁欲的で、教育と改革に一身を投げうち、統一イタリア創建に尽力、統一イタリア共和国の第二代首相をも務めた。
キャンティ・クラッシコの中心のあるブローリオを相続したベッティーノ・リカソリ男爵は葡萄栽培にも熱心で、若い頃は、フランスとドイツを旅して栽培方法と醸造技術を研究し、多くの品種を持ち帰り試したと言われている。
キャンティの歴史は古く、700年代の記録がある。16世紀には、この地には多くの醸造家がいた。フィレンツェのルネサンスが国際的関心を呼び、そのワインはロンドンにも届いていた。1716年には、トスカーナ大公国のコシモ3世は、品質維持のため、布告によってキャンティの境界も定めた。しかし、 今日のキャンティの基礎を作ったのは、19世紀のベッティーノ・リカソリ男爵(1809~1880)である。
男爵は、従来のキャンティとは違う配合を試み、口当たりのいい、爽やかな赤ワインを生み出した。1847年のことである。
この白黒葡萄の混醸がキャンティの醸造方法として今日まで踏襲されている。男爵は、ブドウの混醸比率(サンジョヴェーゼ70%、カナイオーロ・ネーロ15%、マルヴァジーア15%)について次のように語っている。
「サンジョヴェーゼから香りの大部分と力強さを得、カナイオーロからは前者の香りを損なうことなくワインの硬さを和らげる口当りの良さを与えられる。
マルヴァジーアはワインを長く熟成する時にはあまり意味がないが,そうでなければ前の2つのぶどうの効果を和らげ,風味を強め,すぐ食卓で使用できるようにワインを軽くする」と。
リカソリ家のブローリオのワイン造りは、一時期、リカソリ家の手を離れていたが、1993年、32代目の当主・フランチェスコ・リカソリが全面的に経営権を取り戻し、陰りを見せていたワインを全面的に改良した。本命の「キャンティ・クラッシコ」はもとより、IGTの「Casalferro」もスーパー・タスカンとして注目を浴びている。