中世初期のイタリアの文化の中心は、ポー河流域のミラノ、パーヴィア、ヴェローナ、ラヴェンナであった。
ポー河と言う大河の交通の利便性によって、この流域は、度重なる戦乱とペストの災害を乗り越えて、経済も大いに発達し、ヨーロッパに於いて最も人口が多い地域になった。
この地域の自治都市の誕生・発展もヴェネチュアのような沿岸都市にそう遅れるものではなかった。
農業生産だけでなく、羊毛の加工、とりわけ絹織物の生産が活発になる。
コーモから奥の山地で桑の栽培による養蚕が行われ、15世紀には、ヨーロッパ各地に絹を輸出するようになる。シルク・ロードによって東洋からもたらされて珍重された絹織物が、独自に生産されることになり、それを独占していたのがベルガモ、ミラーノ、プレーシャを中心とするロンバルディアだった。
現在ファッションの発信地として、有名なミラーノの繊維産業の基礎はこの時代に築かれたのである。
更に、北側のアルプス山麓の峡谷地帯に金鉱や銀鉱が存在したため、ベルガモでは、鉱業も発達し、武器の製造と共に、貨幣の鋳造が行われた。
ヴェネツィア、ジェノヴァ、フィレンツェなどで各種の貨幣が鋳造されたことはよく知られているが、ベルガモでも「ペルガミヌス-pergaminus」という特有の貨幣が造られていた。
この貨幣の鋳造は、すでにランゴバルド王国の時代に遡ると考えられている。1238年の記録があり、それはフィレンツェの「フィオリーノ-fiorino」(1252年)やヴェネツィアの「ドゥカート-ducato」(1284年)よりも早い。
1254年には、ベルガモの市庁舎に各地の自治都市の代表者が集合して、通貨システムについて話し合い、金銀の重量の基準としてベルガモのものが採用されたと言う。
当然のことながら、金融業も発達し、「ロンバルディア人-Lombardio」という語がいつの間にか「銀行業者」の同意語となった。現在、ロンドンの金融街として知られる「Lombard Street」の由来もここにある。
しかし、16世紀になると、フィレンツェのフィオリーノ貨やヴェネツィアのドゥカート貨がヨーロッパの主要な通貨としての地位を得るに従い、ベルガモのペルガミヌス貨は消滅して行った。
ベルガモの通貨は消滅の運命をたどったが、ロンバルディアでは、ミラノ公国が栄え、その勢力を広げて行った。