ローマ帝國を滅亡させた北方からのゲルマン諸部族の侵入は、その後も長い戦乱を引き起こし、イタリア半島を混乱させ疲弊させた。この混乱期は9世紀末まで続く。民衆の暮らしは一向に回復せずに、特に農業は衰退する一方で、葡萄栽培もワイン文化も滅亡寸前であった。
唯一、キリスト教会によって、葡萄栽培とワイン文化は細々ながら引き継がれた。
それは、ワインはキリストの血・肉として重んじた宗教上の理由もあるが、司教のような聖職者の多くは、ローマ帝国の上流階級や知識階級の出身だったから、法衣をまとっても、ローマ風の生活を捨て去れず、自分の館の近くに葡萄畑を持つ事を常としていたからである。
また、修道院も各地に建設されて行く中で、修道士の自給自足の生活は、耕作や農地の開発、農業技術の革新等を生み出し、それが引き金になって農業が徐々に回復されて行った。
修道院の耕作の中では、特に葡萄栽培が重んじられていた。この修道院の葡萄栽培がワイン文化を引き継ぎ育てたことは間違いない。
修道院の組織化や普及が大きく進むのは、イタリア半島よりガリア(フランス)の地に於いてであったから、ワイン造りの中心もイタリアからフランスヘと移って行った。
この修道院の造るワインは、ローマ帝国時代の水で割って飲んだアルコール度の高いものとは変わり、寒冷地栽培という気候的な影響もあって、糖度とアルコール度の低い、現在われわれが飲んでいるワインに近いものになっていたと思われる。