12世紀は、イタリアも西欧全体も激動の世紀である。それは、何世紀にもわたる沈滞の後に、修道院によって始められた荒地・森林の開拓と農業技術の革新によって、西欧の農業はようやく活気を取り戻し、生産力を着実に増大させた。「経済改革」と言えるものであった。
余剰生産物が市場に溢れ出し、商工業が盛んになり、貨幣が流通し始め、蓄積と投資が可能になり、何世紀も死んだようだった都市が、活況を呈し始める。
財力をつけた商人たちは、己の自治組織をそのまま都市統治の組織(共和制)として確立して行く。所謂、
自治都市(コムーネ:Comume)の誕生である。
当然、従来の支配者である封建領主と衝突し始める。領主、貴族、聖職者、農民という従来の階級関係の間に、商・工人階級(
都市ブルジョアジー)が割り込んだのである。
この状況を更に推進する強力な契撥となったのが、十字軍遠征であった。
十字軍遠征によって、イスラムに押さえられていた地中海の制海権を取り戻し、十字軍の輸送や物資調達を担ったイタリアは、その貿易を急上昇させ、アマルフィ、ピサ、ジェノヴァ、ヴェネツィア等の海港都市が互いに争いつつ興隆した。同時に、遠隔地貿易のルートも次々に開発され、内陸部のミラノ、ポローニャ、フィレンツェ、シエナ等北イタリアの諸都市に発展の刺激と磯会を与えた。
十字軍は、法王の提唱により、フランス、ドイツ、イギリスなどの王侯騎士の連合軍が、1096年から数次に渡って、当時イスラム教徒の支配下にあった聖地・エルサレムの奪回を目指したものだったが、約100年ほどの間、7回に渡って遠征したが、勝利したのは第1回だけで、最終的にはイスラム教徒により撃退されてしまう。
しかし、本来の目的は達せられなかったが、経済的・社会的な副産物は山ほどあり、それがヨーロッパ社会の発展に決定的な役割を果たしたのである。
イスラム世界もビザンチン世界も、当時の西欧と比べれば格段に高度な文明を享受し、遥かに深くかつ洗練された文化を育んでいた。暗黒の数世紀問に忘れ果てていた古代文化の遺産、特に古代ギリシャ・ローマの思想、哲学が、当時最も国際的な人種であったユダヤ人の仲介で、イスラム世界から西欧へ還流し、「ルネッサンス」の華を咲かせることになる。